昭和四十五年二月二十日朝の御理解
X御理解第二十一節「信心せよ、信心とは、わが心が神に向うのを信心と言うのじゃ。神徳の中に居っても、氏子に信なければおかげはなし。カンテラに油一杯あっても、シンがなければ火が灯らず、火が灯らねば、夜は闇なり信心なければ世界が闇なり。」
お道の信心させて頂く者が、ここのところが、確かにそうだと分からせて頂いたら、危なげがないと思うのです。成る程、信心なければ世界が闇なりと、そこ迄のところをわかるというか、信心して居っても、そこを実感出来ない人は、沢山あろうかと思う。信心があっても、信心がなかっても、やっていきよるじゃないかという訳なんですねえ。ですから、成る程信心なければ世界が闇だという事が分かると。私は合楽に御縁を頂いて朝参りでもなさっておられる方達は、まずそこのところを分かって居られるから、そのような信心が出来るんだと思うのです。時々、お願いがあるからお参りをするというのではなくて、親先生、私の方に、もし信心がなかったら、今頃はどの様な事になっておったでしょうかという人達がそれであります。本当に信心がなかったら、今頃どういう事になっておったであろうかと、明らかに信心が、家の光と又は自分の心の光りとして、それを感じ取っておられるから、そういう事になるのだ。信心のなかった時代、又は信心を頂くようになって此方の事を思い比べてみて、成る程、闇と光をはっきりそこに感じきれるという事。
それは誰だって闇を喜ぶ者はありますまいしね。本当に信心なければ世は闇なりと仰せられるが、信心を頂いておったという事がこのようにも、有り難いものであるという事をですねえ。それを実感出来れるというところに私は、真の信心があり、そこからいわゆる、いよいよ本格的な信心。限りがない事でしょうが、そこんところを、いうなら基本として信心をいよいよ進めて行こうという。成る程、お参りをして、お願いをしておかげを頂くと、不思議な事じゃああるですよと、又は勿体ないおかげを頂きましたという、そのところがです、おかげというものが、ところどころにしかない。願った所だけしか頂けない、といったような考え方をしとる時代もある。
昨夜は十九日でしたから、合楽会でした。まあ合楽会の方達は、こちらへ来てからの信者さんがほとんどですが、だから信心もまだ若い。いろいろと話を聞かせて頂くと、おかげを受けておるですねえ。ある方が発表しておりました。今頃から風呂をたいたところが、水を入れずに焚いた。それも前も一回焚いてそのひびが入るようになって、それがどんどん漏るようになって御主人から大変怒られた。こういう事が又もや空風呂を焚いたというのである。もうそん時ばっかりは、この前からも主人にあんなに怒られたもんですから、今度はどげん怒られるやら分からんと、それからもう一心になって、金光様金光様と唱えながら、ここから頂いたお神酒さんをひびの割れ目に塗ってまわったと、そしたら先生不思議な事ですよ、全然穴が開かなかったと、本当にこの神様はどんなおかげでも下さる神様だという訳なのです。それで私は、その話を聞いてね、そうですよ、もう本当に一心ちゃ恐ろしい、もう二度目の事だから、今度はどんなに言うて叱られるやら分からんという、その恐ろしいという一心がね、もう一心にお願いした訳なんですねえ。小倉教会の初代のおられる時代に、日吉ツルという先生のお話しを、それを聞いてさせてもらったんです。 御婦人の先生でしたけれどもね、この先生は、・・・・もう不治の病と、医者から言われるような難病を抱えて、当時小倉に金光様が出来られたと、あらたかな神様げな、日を切って時間を切っておかげを下さると、当時まだ汽車のない時代でしたから歩いて小倉にお参りをさせてもろうた。頂けば頂く程お話しが有り難い。それで一日がかりでお参りする事ですから、毎日お参りするという訳には参りません。それで自分の頂いておる毎日のお食事の中から茶碗に一杯ずつの米を貯める、それが一升になった時が丁度十日だという訳です。そしてお参りをする。そういうようなお参りをしておられたある日、初代の桂先生が、その日吉ツルという婦人が持って来た一升の米を、御神前にお供えされた。そして御祈念をなさっておられる時に、御裁伝があった。「日吉ツル、真の信心になっった。」というお言葉であった。これからは、千人の神に立ててやるとおっしゃった。さあそれからね、そういう無学の、いうなら、お婆さんの所で人が助かるようになった。それで、次ぎ々人が助かるもんですから、講社のようなものが出来ましてね、二十人、三十人と集まって、信心の話をしたり、御祈念をしたりするような会が出来た。成る程、神様が千人の神に立ててやるとおっしゃる、神の働きが始まってきた訳ですねえ。
そういう中に、日吉ツル真の信心になったといわれる、真という事を感じます。真とは本当な事だとこう言う。
二、三日前に、ある幼稚園の園長さんがお参りになりました。難儀な問題で参られました。まあ園長先生ですから、人にお話しをする事は得意なんです。私の話を聞く事よりも一生懸命自分の話をされます。先生、私の方の教育方針というものはね、というて話される訳です。園児が入園をしてくる、その時におやつのようなものを皆に、一番初めにやる時にです、物を頂いたら、有り難う御座いますと、頭を下げてお礼をいう事を基本にしとります。だから、先生方が配られて頭を下げる。もろうてから、頭を下げる事も、有り難うをいう事を知らん子供もあるそうです。そういうところは、やっておったものは一遍取り上げるそうです。そして、お頂戴をしなさい、有り難うございますと、言わなきゃあげませんよというて。それでも、やっぱり頭を下げんのがおる。そうすると、先生たちが行って頭を下げさせる。そしてからしか渡さない事にしとります。これが、教育の根本方針ありますというて私に話されます。実は、園長先生に、そういう本当の教育が御自分にあったなら、今ここに持って来ておられる難儀な問題なんか全部解消するのですよ。
ところが、幼稚園の子供には、頭を押さえ付けてでん有り難うを言わせるけれども、さあ、自分は有り難いという気持ちを持たないところに、問題がある訳です。
ですから、これは教育の根本方針であるとこういうような事が、いかにですね、愚にもつかない教え方であるかが分かりますね。教育者の中には、成る程、徹底した教え方をするけれども、自分の家庭では、おかげを頂ききってないという教育者が多い。その例にもれない訳です。あっちは、学校の先生ばってん、家ではこうだという。子供には見事な教え方をしておられるけれどもです、いかにね、信心と普通の道徳的なものとの違いをそこに感じます。
そういうようなところをですねえ。例えば、日吉ツルという先生は、一番初めから感じられた訳ですねえ。初めてお参りをさせて頂いて、天地の大恩を聞かれた、本当に今まで知らなかったと。限りなしに頂いておる、例えば、お水なんか、それこそ当たり前のように思うて頂いておったし、天地の大恩なんか全然感じてもいなかったし、これは、普通の神様じゃないなと、そのお婆さんが、無学のお婆さんが、それを感じられた。感じられたところからです、もうその日から、いわば、神恩報謝の生活がささやかながらも、出来るようになった。しかも、お礼をいうと言うて、言葉で言うだけじゃない、頭を押さえられて頭を下げるのじゃない。頂けば頂く程、天地の大恩に浴して居る、その事に対するお礼の心がです、毎日、自分が頂くご飯の中から、一椀ずつのお米が貯められていくというところにです、私は信心があると思うのです。有り難いと思うとりますと、それじゃいけない事が分かりましょうが。有り難いと思うたら、その有り難いと思う心がね、奉仕の姿になって表れて来なければ、それが真なんです。一升の米を持って参ったけんで、日吉ツル真の信心になったとおっしゃったんじゃなかろうと思うです。そんならここでも、毎日、お参りをしてくる人達が、お供えをしない人はありませんし、それが真の信心になったと、そんな訳じゃない。一俵が十俵お供えさせて頂いたからというて、真じゃない。真とは限らない。真とは、本当な事だと言うのです。
何にも、それこそ、字ひとつ書けない日吉ツル先生がです、お参りをさせて頂いて、自分の難渋な病気の事を、お取り次ぎお願いされたら、頂いた御教えが天地の大恩であった。ひとすくいの水の大恩を説かれた。本当に今迄は知らなかった。こういう大変な事をです、教えて下さる。これは、只の神様じゃないなという事をお婆さんの心で感じられた。それから、早速その神様の御恩恵に対するところの生活態度というものが変えられてきた。早速、自分の口を減らしてからでも、という感謝の心が湧いてきた。
たった、日に一合のお米ではあるけれども、その一合のお米が貯えられ、それが、十日間で一升貯まった時にお参りの日として、小倉まで一日がかりで、お参りをされた。それも、何回目かのお参りの時にです。日吉ツル真の信心になったとおっしゃる。その意味が皆さんわかるでしょうが。
どんなに、形のうえに於いてです。昔の小学校に行った人達が、修身というのがありましたが、そういう事がいかに愚にもつかない教育かという事が分かります。
本当な事が分かって本当な事に対する生活態度というものをです、身をもってそれを教え、身をもって行じてゆくところから、真がある。
一升のお米をお供えする事が真ではなくて、本当な事が分かって、本当な事に対する神恩報謝の心がです、ささやかながらも、そこに表された事を真と。そこを、真の信心になったと、神様は言うておられます。これからは、千人の神に立てるぞとおっしゃった。
成る程。千人の神に立てる程しのおかげを受けられた。
まあ、そんな話をさせて頂いたんですがね。そのようにして、段々人が助かられるようになりましたから、桂先生が、もう講社だけじゃいかん、もう教会にせなければならん程しに、人が集まりました。そこで、小倉の教会に修行に上がられる事になった。
御伝記なんかを見ましても、桂先生とは、非常に気性の烈しいお方であったらしい。もうそれこそ、言葉も粗荒らしかったらしい。ですから、日吉ツル先生なんか、桂先生の前に出ると、身が縮み上がってしまってですね、言葉が出らんくらいに、師匠に対する態度がそうだったらしい。ある日、親先生のお部屋をお掃除しておられる時に、先生が大事にしておられる土瓶がです、どうしたはずみか、二つに割れた。そん時、日吉ツルという先生がもう身が凍る思いをされた
そのまま二つに割れた土瓶を外へ持って行って、下のお土をつけて「生き神金光大神様!」というて、合わせられたきり、二つに割れた土瓶がひっついたと、それが、現在教会の宝物の一つとして、残っておる。
昨日、ここの御婦人が発表しておられた、そういう、おかげが受けられる。だから一心を立つれば、そういうおかげも受けられるけれどもです。そこにはね、真というものが伴うていかんと、いわゆる、わが心が神に向かうていくのを信心というのじゃとおっしゃる。おかげを受けました、だけではね、もうそれこそ、おかげを受けましただけなら、どれだけ合楽には、おかげを受けた人が有るかしれません。
おかげを受けたきりで、それから信心を続けられないという人は、どれ位有るか知れません。その中にです、こうして、二十何年間信心を続けておられるという事は、尊い事だとこう思う。
ですから、続けられておるという事はです、そこに本当な事が分かって、本当な事が行じられて、先程、申しますように信心なければ世界が闇なりと、仰せられるが、確かに信心なければ世界が闇なりで有り、信心なければ私の世界は闇であったと分かるところまで、おかげを受けておられるから、止められんのです。只、願うた事がです、おかげを受けましたという事だけではね、それだけの事。不思議なこつじゃあるですよ、こげなおかげをいただきましたと。
それは、ない命が助かったという人があるし、とても神様のおかげと言わなければ、おられないという程しのです、おかげを受けてきた人はどの位有るか知れません。けれども、それからの信心が育ってない訳です。
神様が信心のお育てを下さる様々な演出。昨日、一昨日でしたか、大きな川があって、その川の向こう岸、いわゆるおかげの彼岸というものが、言うならば神様の世界、言うなれば有り難い、もったいないという世界が、この川の向こうにはあるんだと、見せておったり、聞かせておったりするのが、言うなら合楽です。
それは、そんなら私自身がおかげを受けてです。私を見てくださいと言うて、私の信心を語らせてもらいながらのお話。おかげの彼岸、そこなんです。それを皆、こっちから見て、素晴らしいことじゃあるなあと思うておるだけではいけん。
そこで大きな川に橋がかかって、いわゆる大川橋蔵というお知らせを頂いて、その話をしたでしょう。そこで、その、そういう極楽の世界が、この川を隔てた向こうにあるのだから、ここを渡れば有り難い、もったいないという世界がそこにはあるのだけれども、この橋を渡らなければね、いけんのです。見とるだけじゃいかん。橋のたもとでぐずぐずしとったっちゃつまらん。そんなら容易いことたい、その橋を渡るだけなら、だれだって渡られる。と思いますけれど、実はその橋がまた、大変なことなのだ。
その事をね、指出の、この方は昨年の寒修行からお参りして来ておる、昨年はお参りさせて頂くのに主人がやかましかった。ところが今年は、おい、お前、朝の御祈念ぞと言うてから、起こしてくれるようになられた。そして、俺はまるきりお前の枕時計のごたるねと冗談を言わっしゃる程しに、参っちゃこんけれどもです。そう言うてわざわざ起こして参らして下さいます。子供達がみんな、毎朝学校へ行く前に必ずお参りしてくる。もう家族中でお父さんだけがお参りしなさらん。
けれども、そのお父さんも来年頃は参って来なさるばいねというて、昨日話した事でした。もう、俺はまるきりお前の枕時計と同じ事と言うて、さあ御祈念ぞと参らせて下さるようになったが、段々信心の有り難さが・・・
例えば今度の寒修行に一日も欠かさんようにお参りをして、いよいよ信心が分からせて頂くという事が有難い。
昨日の朝、お夢を頂いた。それがですね、先日御理解に頂いた、大川橋蔵というそれです。大川とは、こういう川だろうかというような川がある。そこにやっぱり橋がかかっているんです。ところが、その橋が先生、奇妙な橋だという訳なんですよ。
京都に八っ橋というお菓子がありますが、その八っ橋には、いろいろと伝説が有るのですが、その八っ橋というのは、いろいろに曲がった橋らしいのですよね。いわゆる、カギの手になったそれも、こういう風になった橋だそうです。だから、橋だけれども、渡って行くと必ず行き詰まる橋なんです。よこからまた右に折れなければならん。そしたらまた行き詰まる。そして又、それを真っすぐ行くと、今度は又左に曲がらなならんという橋らしい。先生、どういうような事でしょうかと、そらもう昨日頂いた、この橋を渡らせて頂くところから、いわゆる、おかげの彼岸ですよねえ、向こう岸にいわゆる信心の世界、いうならば、闇の世界から、光明の世界、光の世界に移ってゆけれる為には、この橋を渡って行かなければならん。
だから、大城大橋のような橋じゃないという事が分かる。そんなら。誰だって渡るんです。願うたらおかが頂いた。参ったら有り難かったと言うばあっかりならです、誰だってそれこそ、世界中の人間氏子がです、瞬く間にお道の信心をするようになるでしょう。
ところが、参ったけれども、願うたけれども思うごとはならん。なったと思うたけれども、二辺目の時にはぎすとん動かん、お参りする途中で、例えば中村さん、お参りして有り難い有り難いと言うとって、帰りよって川の中に落てこみなさった。お参りしよって川に中に落てこんでというて、と人は言うけれども、おかげで怪我もしなかったとそういう事もある訳でなのです。
だから、どのような場合もです、有り難い勿体ないで行きさえすればいいのですけれども、信心しよって怪我をした。信心しよって川に落ち込んだと言うて、それぎりで信心を止める人達が又どれくらい有るか分からん。
合楽会の中でも、田中さんとか中村さん当たりはね、毎日日参されます。言うなれば合楽では最高の信心を身につけていっておられる。田中さんの昨日の発表の中に、今日部落の婦人の方達が寄ったところ、人間の幸福とは、という話が出た。それで田中さんは、前の日に頂かれておられた話を、兎に角、人間が真の道を歩かなければ、真の人にならなければ、人間の幸福とは絶対有りませんよという話をした。
そんなら、真ちゃどげなこつのというて聞かれた。そして本当に人間が幸福なるじゃろうかと。なる、という話をです、前の日の御理解をそのままにお話をさせて頂いた。
そればってん、私だけ変わって相手が変わらんなら、どんこん出きんじゃろうもんと、さあ、そこが信心。人間関係の事らしいですねえ。こちらが変わればちゃあんと変わる、それがおかげというもの。信心というのは、まず私自身が御教えに頂くように、真がなければ人は助からんとおっしゃるのは、真が無からなければ、自分自身が助からんという事なのだから、自分自身が真になる。
そこで、真とは何ぞや、という事になって、真の追求をさせてもらうところから、自分の助かりがある。不思議に自分が助かっていくところから、主人が助かる、子供が助かるというおかげ。
それを、おかげと言うのですよというて話したけれど、まあそこら辺はわかられんのですよねえ。信心のない方は、
けれどもね、人間が幸福になるという話なら、皆が飛びついてくる。それがです、例えば、この橋さえ渡れば人間が幸福になるという事がです。そう、いと簡単に渡れるもんであったら、信心はたいした事はない。それが右に折れ、左に折れしながらです。言うなら、これで行き詰まったのかというような所を通らせて頂きながらも、なおかつです信心辛抱させて頂く。そこに、辛抱の徳が身につけられ、いよいよ自分は清めらしてもらう上にも、清めらせてもらう、改まる上にも改まらせて頂いて、おかげ受けておる。そこに信心の楽しみが有り喜びが有る。いよいよ深い深い信心の喜びに浸らせて頂く事が出来る。
そういう私、そういう私の家庭、皆さんの場合はそれが出来ていきよる。だから、皆さんがよく言われる、もしああいう時に、ああいう難儀に会わずに、御神縁を頂かずに、もし今日信心がなかったら、私の家庭がどうなっておったであろうかと思うと、
いわゆる、そこにはっきり光のある世界、闇の世界をはっきり分かって、いかにもいうならお金の有る者もある、家庭も大体円満にいきよる。けれどもこれは、いかにも光があるようであって、先程の幼稚園の先生が子供に教えられる様に、頭を押さえつけてからお礼どんいいよる。もう私どんは幸せと思います、と言うだけの事。本当の幸せじゃ決してない。言うならば手探りに世の中を歩いているようなもの。言うならばその家は現在、昼の時代かもしれない。だからひとたび夜になってきたら、光がなかったら、いよいよ一寸先が闇のようである。私共はそこに信心の光というものを、心の中に灯することが出来ていく生活を、私は信心生活だと。
信心とは、わが心が神に向こうていくのを信心と言うと、自分の心の中に頂く、その心の光が、自分の家だけではない、自分の家の隅々まで明るうしていけれるような、いや、自分の部落までも明るくしていくような、それこそ世界に光をうちたたして頂けれる程しの願いを持っての信心。そこんところの信心が感じられ、またそれが分からせて頂くところから、成る程、信心無ければ世界が闇なりという信心を分からせてもらう信心が必要だということが分かる。
そこまでを、私共の信心修行期間と思わなければならない。もう、私から神様は一時でも放されない。もう私の生き方から信心を抜きにしたら、もう、そのまま闇になる事を感じる信心。いわゆるこの御理解二十一節がです。確かにそうだなあと実感できれるところまで。自分の都合の良か時だけお参りをする。お願いのある時だけお参りをする。そういう信心から、信心の話が段々に分かって、いわゆる本当なことが分かって、真の事が分かって。言うなら日吉ツル先生じゃないですけれども、本当な事が分かる。そこから神恩報謝の生活が始められる。そこに日吉ツル真の信心になったがあり、千人の神にとり立ててやるとおっしゃる大きな光を頂かせて頂く事になり、それが言うならあの世にも持っていけ、この世にも残しておけるという、現在の芦屋教会がある訳です。
確かに一心を立てればね、それは本当に恐ろしいまでに、それこそ二つに割れた土瓶が、お土をつけて、生神金光大神さまを唱えて合わせた途端に外れんような奇跡的なおかげを受けることも出来る。
金光さま、金光さまと、その割れたタイルの風呂を、お神酒さんをぬらせて頂いて、それこそ親父に怒られちゃならんという一心が、そういう結果を生んできておる。そういうところからお互いの信心が始められるけれども、そこの辺からです。私は本当な事の分かっての信心。いわゆる真の信心。いわゆる本当の意味においての神恩報謝の生活の出来れる信心。そういう信心を目指していくという事がです。わが心が神に向うていくという事じゃないだろうか。
わが心が神に向こうていく、自分の心が、自分の信心がです。昨年よりも今年と、神に向こうておる姿を、自分の心の中に分かる事。自分に感じられる。
そこに例えば、指出の久保山さんじゃないけれど、昨年の寒修行の時はとやこう言うておった主人がです。今年は、俺はまるでお前たちの枕時計だと言われるくらいに、主人がかわっておられるという事はね、いわゆる久保山さん自身が変わっておられる。
いわゆる昨年の久保山さんと今年の久保山さんは、心がそれだけ神に向こうた。うちの家内が信心しよるけん、成る程違うといったような光を主人も感じられるからこそ、止めもされずにお参りが出来るようになっておられる事を思うのです。どうでしょうか。そういうものを信心のない人達にも与えれる信心。感じてもらえるだけの信心。そこに私は、お道の信心ぶりがあると思うのです。御利益を受ける、有り難いという事だけでなくて、自分の心の光が段々消えるのではなくて、段々大きくなっていくという信心。
私共が信心のなかった時代、それこそ神徳に満ち溢れたこの世の中がです。それこそカンテラの中に油がいっぱいあっても氏子にシンなければ火が灯らんとおっしゃる。氏子にシンなければ火は灯らん。いわばおかげの中にあってもおかげを感じん
天地の大恩の中にあっても、大恩を大恩と知らない、それこそ、ひとすくいの水にでも、お礼を申し上げねばならない心が生まれて来ない。これが信心が薄い、信心がない時の姿なのであります。シンさえ出せば確かにカンテラに油が一ぱい有るようなものですから、そこに火が灯るのです。それを育てて行くという事が信心。
信心せよ、信心とは、わが心が神に向かうのを信心と言うのじゃ。神徳の中に居っても氏子に信なければおかげはなし。カンテラに油一杯あっても、シンがなければ火が灯らず、火が灯らねば夜は闇なり、信心がなけれ世界が闇なり。
私共が頂いておる信心から生まれてくる、和らいだ心、賀びの心、いわゆる和賀心、その和賀心世界中のすみずみにまで、照り輝かせて頂けれるような、私は願いをね、一人一人が持たせて頂いて、まず私の心の中に和賀心を頂き、いわゆる和賀心時代と私が最近言うております、和賀心時代を押し広めてゆかなければならん。
それにはね、私の心がね、神に向かうて接近して行かなければならん。近ずいてゆかなければならない。
私の心の光が、いよいよ大きなものになって行かなければならない。
そういうものを、とりわけこの1970年という年柄は、そういう年柄に当たっておるような気がする。人間の知恵やら力をもって、出来ん事はないという事はないという程しに、出来る程の時代である。いわゆる、人間が月の世界にでも行けれる時代である。そういう事が出来れる程しになったけれども、その向こうに月の世界に行けれるようになったから、もうこれで人間が幸せになった、幸福になったという事が言えないという事がはっきりしてきた。
その向こうには、心がある。人間の幸福というものは心に有るのだ。その心も、いわゆる、和らいだ心、賀びの心というものが、要るのだという事をです、そこに当面しておる、今年という年は。だから、これからはその和賀心時代がです、いよいよ信心のない人達の世界にです、押し広められてゆかなければならない。
先日、善導寺の町で和の心運動というのがあっておったと、誰の思い立ちか知らないけれど、それを署名捺印をもろうて歩いておられた。まあ、和の心運動に共鳴して下さいという事でしょう。もう既に確かにそういう時代。この和の心だけでです、家庭が和であるというだけで、おかげが受けられるのではありません。
これは信心を頂かなければ、頂けない心。それが賀の心、賀びの心なのだ。その和の心と賀美の心が一つになって、おかげは和賀心にありと仰せられる。いわゆる、限りのないおかげに浴してゆけれる。いわゆる無尽蔵のおかげにつながっていくところの、おかげを頂けねば、人間は只、和が有っただけでは幸福とはいえない。
そういう難しいというか、有り難い年柄にあるのです。今年という年は。いよいよ私共の心が、神に向こうて近づいてゆけれる信心、今日は二十一節からそのようなものを私は感じた。同時にこの二十一節が成る程そうだと、信心なければ世界が闇なりと、本当にそれが実感出来るところまでの信心。
それが出来たら、あなたの信心はまあ一人前だと、もうそうなったら止められない、信心は。止めたらすぐ、消えるんですもの。
だから、問題はその光の実感というものがです、感じられる、いわゆる、この二十一節を頂いて、本当にそうだなと分からせて頂くところ迄、信心を進めていきたいですね。どうぞ。